子育ての森forestree

日々の備忘録&愛してやまないものたちを語ります

娘と私にとって懐かしい場所

 

学校祭があった。

娘の前の学校だ。

中高一貫校の中学課程だけ、在籍した学校ということである。

もちろん、中学課程は修了済で、世間一般からみれば

高校受験した娘は、何もみんなと変わらない。

 

だけど、この学校に来ると、中学の時と全く同じ顔ぶれがいる。

娘も嬉しく、私も嬉しいが、あの時で時は止まったように私だけ感じる。

 

娘は意志を持って、出たのだ。

何も、悲しいことはないのに、私はあの頃を、

あの頃の娘の笑顔を、

思い出すと懐かしくて、そして少しだけ心が痛くなる。

 

悲しいことや思い出したくないという場所でもないから

娘は、こうして毎年学校祭に訪れて、友達に会う。

この学校を離れて3年目ともなると、お互い憶えているのが半数とのこと。

娘は大好きな先生に会ったが

なかなか声かけられず挨拶だけして通り過ぎるとき、「〇〇さ〜ん!」と

名前を覚えていて呼んでくれたらしい。

英語はこの先生の担当であるから頑張ると、企画研修旅行やセミナーには

全部参加した。

よく外国語が出来るようになりたかったら、その国の言葉を話す彼氏をつくる

のが手っ取り早いと聞いたことがある。

娘は、先生を彼氏のごとく後を追っては、英語に親しんでいった。

娘を、突き放すように自立を促し、目を掛けながら高みを目指すように導いたのは

他でもないこちらの恩師である。

 

この学校には娘への愛情が満ち満ちいてたのを

親子と共々感じていた。

 

だが、外に出る独りの道を選んだのである。

この恩師と出会ったからこそ、娘は自分の進むべき道を自ら決める力を持った。

険しく曲がりくねった道を自ら引き寄せと言える。

そこで待っていた様々な布石が、音楽へと辿る道に向かうとは、

誰も予想だにしていなかった。

 

いや、娘は予感がしたのだ。

そして、高校3年の大事な時期に自分で、奥底に閉じ込めていた蓋をとうとう開ける。

寧ろ、9年前から、この道を一歩ずつ進めていたのかもしれない。

 この決断は、一般的にどの周囲の大人の意見を聞いても、普通ではナイ、選択。

 

これからは未知数。1年前にも辛酸は嘗めたのにまた向かう娘の図太さ。

微笑んでしまう、ばか親である。

 

どうして、この場所に来ると少しだけ心が痛くなるか考えた。

多分だが、あの時までが親の出来ることの精一杯のライン。

その最後がここにあるからなのだ。

 

もっともっと離れていく。

もっともっと社会に返していくことになる。

 

心が満たされた日です。祈ろう。

 

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学校近くのカフェで、美味しいフワフワを堪能、幸せ



アオクニブクヒカル

不覚にも涙が出てしまった

 

こんなに近くに居るのに

ずうっと独りだった娘

 

ママ聞いてみて

と久しぶりに気に入った音楽を 歌詞も一緒に見てねと

言われた

 

韓国の女の子二人組 to my youth 私の思春期に という歌

私はハングルが読めないので、訳した歌詞を見ながら

ホントにそこに書かれていた気持ちをぶつけてきて

何回も衝突したので

思春期にのたうちまわった彼女の身体からほとばしりでた言葉が

そこにあったと愕然とした

 

いいね、なんて名前の子達?

と言うのが精一杯だった

 

大人がなだめて枠にはめる毎日と、現実に横たわる常識と

自分であるための未来に、非常識な彼女の選択に

なんども翻弄されながら

やっぱり自分で居ることを諦めきれずにと彼女は言ったが

いや、それが正解だよ

 

けして非常識じゃない、

誰かの常識がこの世界を支配してるのか

 

貴方に還っただけ

君が君でいることを誰が何を言うのか

 

身体から通り抜けた風が

音に乗って

届くようになったよ、ほんとだよ

 

 

 

 

 

forget me not 

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車のダッシュボードから 忘れてたCDが出てきた 

あの日に戻ってく

そうだ、forget me not 勿忘草の話をしてた

まだ青二才の社会人でしかも海外での就業、自分のことで精一杯

気持ちはわかんなかったな、君の

でも何かは気づいてた

しんとした夜明け前、海岸からの夜風がいつもより冷たい

forget me not と言ってから、tiny blue flowerと続けたこと思い出した

花のことを一生懸命伝えてる 

ふと、いまでも君の名前を覚えていることに気づく

 

また、似ている空の下で、同じ瞳に遇った

だから私はあの時思い出そうとしてた

勿忘草の色が何色だったのか

その色が私に何を伝えたかったのか

 

トリビュートアルバムの槇原敬之 forget me notを聞きながら

ここまで、方程式が解けるように次々こんなことを思って

槇原敬之の声が

男とは、女より優しい生物なのだと 悟りに誘った

 

優しくいる為に、何を守るのだろう

そして強くなっていったとしたら、

私はちょっと敵わないなと思う

 

守るための優しさ

優しさは、男の強さなんだ

と、初老のジェントルマンがそんなことを話した思い出に飛ぶ

 

たまたま男に生まれた人間、

「人間」ってところに合わせてた

だから、「男」としての貴方という人間の気持ちを考えたことがありませんでした

 

きっと、そんな優しい生物が、「男なんだから」と

気の遠くなるような我慢をするのは、大変だね

 

私は、その言葉に表す前の、 

貴方の動く気持ちに感応するんだ

誰かの頑張りを見てると

頑張れって応援する気持ちがそこかしこに溢れてしまうんだな

だから相手も私の心に感応していく

 

感応し合うこと=テレパシー

記憶を辿って話す者達

ただそれだけだよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

娘の誕生日 18歳

お誕生日おめでとう

今日午前10時頃、空を見上げたら曇りだったね

貴方の生まれた日は、天気雨がシトシト降っていました

空の様子を見て思い出してました

 

出産して、病室に戻り、目を瞑りながら雨の音を静かに聞いて

心に思ったことを

貴方に似合う日に生まれたんだ、祝福の雨の中

そして、初めてお乳をあげた時迷わずにしっかりと吸い上げていた命を

この子とは

きっと心が通じ合えると思いました

 

そして、あれから18年

果てない面白さをありがとう

日々あれやこれやありますけど

一人静かになるとママはもう大好きでしょうがないと

いつも思ってしまうのです

おもしろ天使さん

フィリピンから生還〜その② 色々思索人

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カラマンシ−ジュース 甘酸っぱい

 

レモネードとは少し違う、カラマンシ−ジュース

ナチュラルなものが欲しければ、自分で作らないと

フィリピンは甘いもの=ご馳走なので、日本の辛党さんにとってはだんだん飽きてくる

 

レモンより酸味が弱い、カラマンシ−を絞って醤油とあわせて

炭火焼きのチキンに浸けて食べるのです

私は、これが一番好きでした

なんでもサッパリした味付けでないと、胃がもたれるんです、年齢的に

 

フィリピンではよく食べたな

沢山盛りつけるのが、おもてなしみたい

もうムチムチボディになっちゃうよ

だからフィリピン女性は30代過ぎると腰回りが良い感じ、、

でもそんなこと気にせず、フィリピンレディはおおらかに、ゆったりと暮らすのです

男性はマニッシュでソフトに話しかけるし、

女性もにこやかでいて慎ましく、あくせくせず毎日を営む、それがフィリピン流

色々ネガティブに日本と比べたら切り無いけど

日本人男性がフィリピンに楽園を求める気持ちが少し分かりました

 

人はね、自然に還るのがいいと思います

経済的な成功で、勝ち負けを付けるのは、つまらないですね無粋です

例えば、東南アジアのジャングルでお金持ちの彼氏と一緒に道に迷って

泣き言いうヤツ私は、嫌いだ

電話が使えない、圏外だなんてガタガタ言う奴は男か!ってのちょっとここ思うとこあり

                              6月14日に書いてみた

貴方の彼、木登り出来ますか?

私は、主人に聞いたわ「木登り出来る?」

「そら、出来るよ」馬鹿にするなと言わんばかりのもうすぐ還暦の主人は

机に脚載せてあ〜だこ〜だ言うスタイルはお嫌い

 

自然とは真逆のお仕事だけど、主人はどこかジャングルの中にいるイメージでいる

いいじゃん!結構いいじゃん!

 

そして、もうひとつフィリピンの素敵なこと見つけました

伝統的な食べ方

手で食べること、セクシーですよ

わたしは、プリミティヴに絆されたのだわ

 

私のフィリピンデイズ

 

私の好きな光景の1つに

裾の広い山肌に原生林が生い茂り、遠くでスコールが降っているのが見える

でも、こちら側はまだ蒸し暑く、後ろを向くと青く緑の海が遠くに見えるそんな光景

何度も何度も見たけど、出会うたびまた目を瞑って深呼吸してその時間を

じっくり味わいたくなるのです

私は、「またその光景に出会った」と、記憶を辿りながら、この前はいつに遇ったのだろ

うかと、懸命に思い出そうとする、それも毎回毎回

フィリピンでも一度だけ目の前にその光景が現れました

その時間は全て、人も乗っていた車も、とまりながら揺れて

記憶に強く残ります

私の幸せとは、1つにこのような光景に出会う幸せを言います

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祈り

 

フィリピン出張から生還

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魅惑のマンゴー ホントに美味、200m先の枝からもいでくるの



フィリピンは、暑かった

人も熱かった

 

日本人という視点からだと、一週間ぐらいの滞在がフィリピン良いとこ一度はおいで、

ってな感じで、心地よく帰国できるのかもしれません

良いに付け、悪いに付け、三週間目に入ると、色々見えてくるし

若干疲れが出ました

ただ、仕事は先方様に満足して頂いたと感じましたし、私どもも善処致しました

日本の「違うでしょ?」というレベルの想像を遙かに超えて、初日は戸惑いました

そういう時必要なのは、創造と想像です

私が日々モットーとしていることがここでフル活用出来るとは、、

頭の中は、ホント爽快でした

身体が時の中を疾走してました

不思議な感覚でした

 

私は、人が言語習得する過程にとても興味があり、今の仕事もそこからの

繋がりで始めたのだと思います

赤ちゃんが言葉を覚える時、皆がそれぞれ経験してきているのですが

そのごく自然すぎる過程を、人は思い出せないのです

それを、私は人生折り返しの年齢で、また経験してしまったのです

 

フィリピンには数千の島があり、それぞれの島に共通言語が別にあると言います

私の渡航したネグロス島は、イロンゴ語という言語があります

真っ新の段階から、日々意味も分からず聞いて、現地のスタッフとは無論英語と日本語

でやり取りはしますが、周りからそこかしこイロンゴが聞こえてきます

そのうち音とリズムに慣れてきて、主語と述語がなんとなく見えてくるのです

例えば、この問いかけは、主語がないから指示だな、

だから、この単語は動詞だなというような、単純な理解ですが

そこに、現地のスタッフの表情を手触りで感じるようになると

視線、状況、その時分かったワードで、話の流れを把握できるようになるのです

全部ご名答の正解ではありませんが、だいたいの流れは間違っていないと確認しました

 

これ以降、使える言葉にするためには、日本語か英語で自分が使ってみたいイロンゴの

意味の確認を、「その時、その場」で尋ねる、使ってみる、変だったら訂正を頼む

またトライする、そしてメモする、その日のうちに何回も使ってみる

まさに、子供が言葉を使う過程をやること

 

とても面白い人体実験でした

 

と、とめどない生還①を終わります