子育ての森forestree

日々の備忘録&愛してやまないものたちを語ります

義母のお葬式

1月末、母が老衰で亡くなりました

本当にお疲れ様、おかあさん

介護施設での生活は約八年でした

その前の約二年半は、自宅での介護生活でした

当時、娘が小学三年生頃からの出来事です

なかなか大変な、濃密な時間でした

介護とは、ご飯をお口に運ぶこととか、着替えを手伝うことと

思っている人がいるかもしれませんが、

それは、気遣いの1つ

介護とは、つまり究極は下の世話をすることと向き合うことだと思います

誰でもが最後の最後は、布団の上に寝たまま動く気力も無くなり

すべてお世話をしてもらうことを避けることは出来ません

だから、人ごとではない

下の世話は、ハードです

便や尿意を当たり前にコントロールすることが

出来なくなってしまったつらさも全て受け止める

自分が被介護者になることを想像出来ますか


さて、この長い長い介護生活の上で

私が母の様々な事柄の方向性を決めるキーパーソンになっていました

良くも悪くも、母の後半の人生は私に委ねられていたのかもしれません

母にとっては、きっと辛かったと思います

自宅にいることが出来なかったのですから、それを嫁の私が選択したのですから

 

私は腰や背中の骨が悪い為、介護をすると相手の体重を支え続けたり

更に何度も屈折する姿勢に耐えられません

続ければ、2人とも自滅する予想はたちます

背骨に沿って自律神経の束があります

腰を痛めたままにすることは、自律神経を粉砕することです

大げさではなく本当のこと

 

私は、その生活の中で子どもを育て上げ、更に中学受験をさせ、娘の才能を引き出すこともしたかった

初めの自宅での二年半の介護生活の後、同時進行が出来なくなり、

つまり私自身の身体と折り合いをつけられなくなり、私は娘を選んだのです

だからこそ、娘の才能の糸口を見つけ、社会に橋渡しをすることが

すべての決着だったのです

 

今年の1月初め、娘と私で介護施設に行き

娘は大学合格を母に伝えました

その日は、過去5年ほどの母とは違う様子でした

僅かな時間だけのいつもの微細な反応からは想像もつかない

30分ほど続く、視線の交差、娘の指を手のひらと指で握ろうとした仕草

私も驚きました

 

母は寝たきりではあったのですが

協力して子育てをしてくれていたんです

私とベットの上の母の共同作業の結実が、この春の娘の門出です

 

もちろん、主人も本当に頑張っていました

心を尽くしていたのですが、なんせ出張が多すぎてまず家を空ける時間が

ありすぎました

こういうバランスや環境で、自宅介護をもう少し頑張れる人もいるんだけどね

介護は、心身共に介護者が健康で無ければ続かない

そこに尽きると思います

お母さん、ありがとう