子育ての森forestree

日々の備忘録&愛してやまないものたちを語ります

貴方の町から富士山は見えますか

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富士山から100キロ地点

 

10月某日、私の家のほど近くの交差点を東京方面に曲がったら国道に出た途端

フロントガラスいっぱいに現れたのは、富士山!!!!

主人の実家に引っ越して18年になりますが、今年の10月まで見たこと無いのです。

義母が何度も見えると言ってたけれど、本気にしていませんでした。

だって、この国道に並行した道が私のウォーキングコースなのに、全く見えませんでし

たよ。でも、不思議な事に今年の10月に初めて見え、そして先週木曜日も見ました。

 

今年私と娘は本当にぎりぎりの細く長い道の先に到達しました。

10月に見たのは入試が終わって一週間経った頃。これは何となく良いことあるかもと

心の中で思いました。精一杯頑張った時には、神様は喜びのサインをくれます。

 

昔、娘が4才の頃、夏の間実家の母に預かって貰い初めての1人のお泊まりが

一ヶ月もの長い間になりました。

私の勉強の為であったのですが、娘なりに小さな心で受け止め、泣かないように我慢

する姿が立派だったと母が言っていました。

娘を迎えに行った帰り道、バスの車窓から2人で空いっぱいの二重虹を見ました。

神様が頑張ったねと、頭を撫でてくれたように感じました。

子どもとは言っても人格がある1人の人間。小さな人間なりにこの状況におかれて

するべき事を乗り越える。そして、大人は無論当たり前にするべき事を果たし、娘本人

と周囲の援助に感謝する。

その2人は、寧ろ頑張り合った同志になるのだと思いました。

 

そして、時は流れて行く中で、娘は私達からの愛情に包まれながらも、愛情から自立す

べく自分と戦う時は本人が荒れました。まだ余韻はありそうですが。

同時に、母親として受け止めるのか突き放すのか迷い激情に振り回されるのは、日常茶

飯事です。何度もさなぎから還り、殻を脱ぎ捨てるごとに、娘の心の芯に宿るものが

見えてきています。勿論!まだまだ未熟ではありますけれどね。

今は、個として大地を踏みしめる娘の立ち姿が本当に綺麗です。

 

私は、小綺麗にまとめてかっこよく子育てするタイプではありません。

泥臭く、野蛮に、真っ正面から人間くさく子育てをしてきました。

アウトドア大好きな自然派ということじゃないです。誤解なきよう(笑

秩序はあるけど、良妻賢母ではありません。

なんでもかんでも自由主義ではありませんが、究極に至っては、心に嘘をつかないこと

を選択する。例え子どもだろうと説明に納得がいっていない様子なら、本質的な話しを

伝えて、世の中の仕組みを教える。このことがどこに繋がっていく教えなのかを必ず話

すこと。躾上の抽象的な「きちんと」とか「しっかりと」という表現だと我が娘は、全く反

応示さないから、より具体的にどう社会で生きるかを教えることが私の子育てでした。

 

 

そして、18年、あんなにも綺麗な立ち姿で真っ直ぐに生きている。

いいんじゃないかと思います。